サイの学校

教育・教員のいろは

【学校のルーツを探ろう】ー昭和編①ー|大学生のブログ|教育時事

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による投稿も進め始めたサイです!

今回は,教育の歴史ということで昭和初期を取り上げます~

 

=戦時中の教育=

 

大日本帝国」は,日清戦争日露戦争・第1次世界大戦…と激動の時代を歩む中で,次第に植民地を拡大していきました。

 

「外地」の教育は,「内地」と一定の共通性を持っていました。しかし,日本人への限定的な「同化」と,日本「内地人」の優位性を維持・温存するための「差異化」をはかったものでした~

 

朝鮮,樺太南洋諸島満州国,東南アジアなどでそれぞれの土地に合わせた教育が行われていました。また,これの教育には,植民地経営の政治的的な活動が潜在していました。

 

世界恐慌などの様々な恐慌が日本を襲い,日本が不景気に陥ると,学校では勤労や質素倹約を重視する「減私奉公」の人間形成が目指されました。(今でも日本人の美学とされている気もしますが。)

 

第1世界大戦といった戦争から,戦場域が空中・海中に拡大したことで,前線(兵士が戦うとこ)と銃後(例えば一般pがいるとこ)の境界があいまいになり,戦争において,国家・国民の物質的・精神的総力の動員が必要になります。

 

日中戦争がはじまると,学校教育・社会教育・家庭教育において「皇国民の錬成」が目的となり,戦争のための教育の動きが進み。1941年の国民学校令により,これはさらに加速するのです。

 

日中戦争開始以来,大量の兵力動員によって男子人口が減少していたことに加え,軍需産業の労働力需要が増大したことで,学生・生徒が勤労奉仕に動員されることになります。

 

都市の空襲が激しくなると,児童の学童疎開が始まり,1945年には戦争のために1年間の授業停止が閣議決定されました。

 

戦時中の教育については,平和教育や日本史で学習することが多いので,知っているコトもたくさんありましたかね…

 

教育が国家のための「洗脳の道具」に近いものとして行われていたように思えます。

 

=占領下新しい教育=

 

日本が戦争に敗れ,GHQによる占領が始まると,今までの教育も一新されます。

 

GHQ民間情報教育局は,教育の分野から帝国主義や行き過ぎた国家主義に関連する要素を徹底的に排除しようとしました。

 

1947年に学制改革が行われ,複雑に分化していた戦前の学校体系が,6・3・3・4という現在の学校体系へと改められます。また,中学校3年間が新たに義務教育となったことで,国民全体の教育水準の向上と普及が図られました。

 

 

 

 

 

 

今回は,昭和前半の教育の歴史をざっくりまとめました。

次で最後になりそうです。(長かったn…)