【教育の歴史と…】ホームスクーリングについて思うこと|大学生のブログ|教育時事
ついについに最後ですー
教育の歴史。いや~ほんと長すぎやろ(笑)
あ,コナン見ました面白かった~サイです。やっていきましょう!
本日は
- 昭和後期
- ホームスクーリングについて思うこと
の2本です。それではどうぞ~
=昭和後期=
前回の続きになります。昭和後期の教育です。
1955年から高度経済成長が始まります。今まで以上に教育程度の高い人が重宝されるようになり,高等学校や大学への進学希望者が増加し,受験競争が過熱しました。
あわせて,入試試験対策偏重の知識詰込み型の教育を行う学校,友人を競争相手としか見れなくなった子どもたちといった受験競争の弊害が広く語られるようになります。
オイルショックにより,日本の高度経済成長は終わりを告げ安定成長の時代に入ります。このあたりから,校内暴力やいじめといった教育問題が顕在化し始めます。
これを受けて,1984年中曾根康弘首相の下,臨時教育審議会が開かれ,従来の学校観・教育観の転換を行おうとします。ここでは,「新しい学力観」という子供中心主義の授業が推奨されていました。
加えて,「不登校」が問題になり始めると,受験競争といった多忙な生活を送っている子どもに「ゆとり」を持たせるゆとり教育が目指され始めます。
「学級崩壊」の問題が指摘されるようになったあたりから,子どもの基礎学力低下なども理由にゆとり教育が批判されるようになります。
そして,今日の学校教育へと進んでいきます。
=ホームスクーリングについて思うこと=
ちょっとTwitter論争は,収まった感じではありますが,今さらながら「ゆたぼん案件」に対する私見を述べます。
さて,学校に行くか?行かないか?ということですが…
正直,学校にいけない人っていうのは,先に挙げた学校教育の問題が存在するために一定数いるので,そういった人たちに無理に学校教育に参加させる必要はないと思っています。(もちろん教員が最大限尽くす必要はあると思います。)
そうやって学校にいけない人は,通信制中学校などを活用して,学習すれば良いのかなと思います。
でも,ゆたぼん君は特別で,その中でも「ホームスクーリング」で学習すると言っています。
まず,大前提として,ホームスクーリングは,「自由に好きなことだけして生きていくホリエモン」みたいな教育ではないんですよね。
ホームスクーリングが外国で行われている背景は,学校までの距離が遠い,学校が非常に荒れていて危険である,宗教上の理由で学校教育を受けることができない,学校に行きたくないといった理由から存在しています。
例えば,アメリカのカリフォルニア州のホームスクーリング法に関する記述を抜粋すると,(アメリカは週によって教育が異なるんですヨ)
Notification Required: Yes (公機関への通知の有無:有)
State Mandated Subjects: Yes (州の定めた科目:有)
といったことが書かれてます。
で,カリフォルニア州は,ホームスクーリング法の規制が緩い方なんですけど,それでも州が決めた科目(カリキュラム)を行うようになっているんです。
また,イギリスでは,ホームスクーリングを行っている家庭に調査官が,どういった教育をされているのかを調査しに来てアドバイスをします。
つまり,ホームスクーリングは,公的機関が定めた勉強から逃げるための道具ではないんですね。
また,教育の歴史で述べた通り,日本の過去のホームスクーリングでは,子どもの境遇が親の身分に左右されるという問題がありました。
今の時代,武士や農民と身分はありませんが,収入には差があります。年収1000万の家と,生活保護で暮らしている家の教育が同じレベルであるとは思えません。ゆたぼんだからこそ,色々な人とコラボをして自由に学習ができているわけです。
子どもは,生まれてくる場所を選ぶことはできません。子どもが生まれた後に努力すればどうにかできる,そんな平等な教育を目指すべきであると考えます。
本当にホームスクーリングを推進したいのであれば,「いかにホームスクーリングが平等に行われる環境を作るか」を本気で模索するべきだと思います。
以上で今回のブログを終わります~