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【世界の教養】イングリッシュ・ガーデンの歴史|大学生のブログ|大学生おすすめの本

大学生のブログ|大学生おすすめの本#10

 

oldと発音しても,allに聞き取られてしまうサイです。英語ムズカシイネ。

今回は,明治学院大学名誉教授 赤川裕先生の『イギリス庭園散策』という本を紹介します。

 



 

 

=メモリアル・ベンチが感慨深い=

 

まったくガーデニングに興味もない男子大学生が,なぜこんな本を読もうとしたかというと,イングリッシュ・ガーデンの「メモリアル・ベンチ」が気に入ったからです。

 

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CWのネーミングコンペで,ガーデニング用品のブランド名を募集していたので,少しガーデニングを調べたことがあります。

 

そこで,「メモリアル・ベンチ」を知りました。イギリスのガーデンにあるベンチ(本当はシートっていうらしい)の裏には,金属のプレートがはめ込まれている場合があるそうです。

 

(日本でも,卒業記念品のベンチとかなんか書いてあるよね。)

 

で,そこにどんなことが書かれているかというと...

 

例えば

The view from this seat was enjoyed by Reginald Donald (Don) Smith while remembering his wife Constance Robertson Smith 

この席からの眺めは、レジナルド・ドナルド(ドン)・スミスが妻のコンスタンス・ロバートソン・スミスを偲びながら楽しんだものです。

 

 とか,書いてあったりします。

 

いや...ヤバいよね...

 

なんていうか,うまく言葉にはできないんだけど,「こんな,シートに座ってその景色を見てみたいなぁ」と思わずにはいられませんでした(笑)

 

 

 

=イギリス庭園の歴史に触れてみた=

 

ここからは,実際にイギリス庭園の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

①中世修道院

 

イギリスの庭を語るとなると,古くは中世からたどることができるようです。その庭は,修道院の奥深くに,四角い中庭として存在します。

 

修道院というと,イギリスのカトリック教会の大本山であるカンタベリー教会が有名ですね。

 

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ここも,他の教会・修道院と同じように,中庭を回廊が取り囲んだ構造となっています。

 

中庭には,儀式用の水を供給するために,井戸や噴水が設けられていましたが,疫病などが流行すると,修道院は難民救済院に,中庭は薬草栽培場に利用されていました。

 

このように,庭は個人の娯楽や趣味の対象となる前には,社会に奉仕するための公共的な空間となっていたんですね~

 

近代的な「公園」がイギリスで生まれた時,これを「ガーデン」と呼んでいたそうです。

 

現在においても「公園」は,災害時の避難場所に使われたり,地球温暖化を抑えるために使われたりしています。このころの「ガーデン」の片りんが現在にも受け継がれていると言えそうです。

 

②フランス庭園

 

17世紀のフランス大庭園様式は,西欧世界では有名で,圧倒していました。

 

特にヴェルサイユ宮殿は,超絶的な権力を保持したルイ14世によって造営されたため,見事の一言に尽きます~

 

各国はこぞって,この庭園様式を模倣しますが,イギリスはあまり影響を受けませんでした!

 

イギリス特有の地理的な要因に加え,議会制度を中心とした市民社会が熟成されつつあったイギリスには,権力誇示のための庭園には、抵抗感があったようです。

 

しかし,1部では「フランス様式」を取り入れた庭園は存在します。

 

③風景庭園

 

大学町オックスフォードから少し行ったところに,「ラウシャム・ハウス庭園」があります。(造園はウィリアム・ケントによって行われ,施主は英国陸軍の司令官ドーマ将軍です。)

 

これは,「風景庭園」の代表的なものです。

 

当時改訂された選挙法によって,イギリスの中産階級は,蓄財を果たした元農民やインテリ層が選挙権を持ち,政治への発言力を伴った新社会層を形成していました。

 

彼らは,旧支配階級とは異なる意識と生活スタイルを持ち,それは庭園にも影響しています。このころの庭園を,「風景庭園」と言います。

 

中産階級の数代前の先祖は農民であり,彼らは自然を知らずには農耕ができませんでした。庭を自然環境に近づけて,その中に身を置くことは,階級の上がった中産階級の「精神的な里帰り」でした。

 

フランス革命が起こり,各国が自国での第2のフランス革命におびえる中でしたが,イギリスは政治を市民の代表する議会にゆだねられており,流血の悲劇は避けられたと考えられていました。

 

ここからイギリスに学ぶという機運が高まり,中産階級の意識の象徴である「英国式庭園」を各国が模倣し始めます。

 

これにより,「英国式庭園」が「イングリッシュ・ガーデン」として,世界に広まっていくこととなります。

 

 

 

以上が,イギリス庭園のざっくりとした歴史になります。

 

当時の社会的な背景と庭園のつながりが深く興味深いものでした。

 

 

くぅーーー!いつか行ってみたいです!

以上でーす。