【ゆたぼん案件を考える】学校の成り立ち編|大学生のブログ|教育時事
では,「ゆたぼん案件」について,様々な意見が飛び交っていますね~
サイです。今日もやっていきましょうー
=Twitterの投稿を考える=
インフルエンサーを含む多くのTwitter民が議論している「ゆたぼん案件」では,義務教育段階において,学校に行くべきかどうかが主に議論されているようです。
投稿によっては,「常識的に…」や「義務教育の義務という意味は…」というように「イデオロギー」に基づく議論が目立ちます。
もちろん,Twitterは,自由に意見を言うことが可能なアプリケーションであるので,これを否定することはできません。
が,せっかくの機会なので,そんな日本の「学校」について,知識を共有していこうと思います~
=今と違う桃太郎=
実は,「子ども」という概念は,歴史的な産物であり,「子ども」と「大人」を区別するようになったのは,江戸時代ごろからだったりします。
古代中世(~戦国)の子どもたちは,大人とともに遊び働いたため,周囲の大人の行動が生活様式や仕事の勉強でありました。(文字とか農民だったら使わんしね。)
平安時代の捨て子や,宣教師ルイス・フロイスの証言,人身売買の事実などから,「子ども」が立場の弱いものとして扱われていたことが推測されています。(小右記とか例外もありますヨ)
平安時代後半から,官職の世襲化(パパを子どもが引き継ぐよぉ)が進んだことで,上級身分においては,家において学問や特殊能力の世襲化が進みました。
また,武士の時代においても,上級武士の家では,教育が行われていました。
(毛利元就の3本の矢の話とかね)
つまり,歴史的に見ると初期から長期にわたって「ホームスクーリング」が行われていたりします。
江戸時代においては,家とは経営体であり,「子ども」は,家の担い継承のための大事な存在でした。そのため,「子ども」の社会的関心は高かったようです。
17世紀以降「子ども」と「大人」の遊びが分化しました。例えば,「子ども」用の絵本が登場します。以前は,老夫婦が桃を食べ若返り自ら桃太郎を出産するという「桃太郎」が現在の一般的な「桃太郎」に変化しました。
家による教育では,身分制の社会において,親の身分が子どもの境遇を大きく左右しました。(ここに,一種のホームスクーリングの問題点があるのではないかと考えています。次かそん次で詳しく述べます。)
寛政の改革の一環として,1790年以降藩校が設立され,寺子屋も増加していきました。(農民も文字が必要になってきたためです。)
(つづく)
今回は,江戸以前の教育と子ども観をざっくりまとめました~
明日は明治に入ります!
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